こどもの頃、あなたには「見えない友達」がいましたか。
誰にも言えない、でも確かにそこにいる。名前を呼べば返事をしてくれるような気がする。その子だけは、どんなときでも自分の味方でいてくれた。
そういう存在が、あなたの子どもの頃にいなかったとしても。
この映画を観ると、きっと思い当たる何かがあるはずです。
「イマジナリーフレンド」とは何か
映画『ブルー きみは大丈夫』(原題:IF)は、2024年6月に日本公開されたアメリカのファンタジー映画です。
監督・脚本は『クワイエット・プレイス』シリーズのジョン・クラシンスキー。プロデューサーとして参加し主演も務めるのはライアン・レイノルズで、ブルーの声をスティーヴ・カレルが担当しています。
物語の中心には「イマジナリーフレンド(IF=空想の友達)」と呼ばれる存在が登場します。
こどもが自分の内側から生み出す、目に見えない友達のこと。心理学の世界では「イマジナリーコンパニオン」とも呼ばれ、3歳から7歳ごろを中心に多くのこどもが経験する、発達段階における自然な現象です。北米での調査では、3〜7歳のこどもの約半数がこのイマジナリーフレンドを持っていたという報告もあります。
モンテッソーリ教育を学んだ私にとって、この事実はとても興味深いものでした。
こどもは、だれかに教わらなくても、自分が必要とするものを内側から生み出す力を持っている。イマジナリーフレンドは、その「自ら育つ力」の、なんとも美しい表れのひとつではないかと思うのです。
そもそもイマジナリーフレンドにはどんな役割があり、子どもの成長にどんな効果を与えるのでしょうか?心理学的なメリットや接し方のコツについては、[こちらの解説記事・イマジナリーフレンドって何?子どもの心の成長に大切な「想像上のお友だち」]で詳しくご紹介しています。
忘れることが、成長なのか
この映画のもっとも核心に触れる設定は、こうです。
こどもが大人になってイマジナリーフレンドを忘れると、その存在は消えてしまう運命にある。
幼い頃に母親を亡くし、今は父親の入院という現実と向き合っている12歳の少女ビーは、ある日、紫色のもふもふした生き物「ブルー」と出会います。ブルーはかつて自分を生み出したこどもに忘れられ、居場所をなくしたイマジナリーフレンド。ビーと、大人なのにIFが見えるという隣人のカル(ライアン・レイノルズ)とともに、忘れられたIFたちを救うための冒険が始まります。
映画を観ながら、私はずっとひとつのことを考えていました。
「忘れること」は、こどもが健全に成長したあかしだと言われています。現実の人間関係を育んでいくにつれ、空想の友達は必要なくなっていく。それは確かにそうなのかもしれない。
でも、この映画が静かに問いかけてくるのは、別のことです。
忘れたはずのものが、まだどこかにある。
そのことを、私たちはどうして気づかないのだろう、と。
大人になった私たちが失ったもの
映画の中で、カルとビーはIFたちの「元の友達」、つまりかつてそのIFを生み出したこどもだった大人たちに会いに行きます。
プレゼン前でひとりで抱え込んでいるビジネスマン。誰にも頼れずに疲れ切っている人たち。「弱さを見せてはいけない」と思って生きている、大人たちのもとへ。
そのシーンを観ながら、私はふと自分を振り返りました。
「きみは大丈夫」と、最後に誰かに言ってもらったのは、いつだったろう。
そしてもっと大事なこと。
「きみは大丈夫」と、私は自分のこどもに、ちゃんと伝えられているだろうか。
声かけ、と言ってしまうと軽い感じがしてしまうのですが、こどもへの「大丈夫」という言葉は、ただの励ましではないと思っています。
「あなたのことを、私はちゃんと見ている」という証し。「失敗しても、迷っても、泣いても、あなたは大丈夫」という、信頼の表明。
それこそが、こどもの自己肯定感を育てていく土台になるものです。
こどもは、自分の中に「もうひとりの自分」を必要としている

モンテッソーリ教育では、こどもが自分の内側から発するサインをとても大切にしています。
イマジナリーフレンドも、そのひとつだと私は思っています。
こどもは孤独なとき、不安なとき、あるいは何かを一緒に喜びたいとき、自分の中からその存在を生み出します。「自分を認めてくれる誰か」「自分の感情を受け止めてくれる誰か」を内側から作り出す力。それは、こどもが持つ、驚くほど豊かな内的世界のあらわれです。
心理学の研究では、イマジナリーフレンドを持つこどもは、他者の気持ちを想像する力が育ちやすいという報告もあります。自分の内側に「もうひとり」を生き生きと描けるこどもは、他者の内側も豊かに想像できるのかもしれません。
だとすれば、こどもがイマジナリーフレンドを持つことは、「困った現象」でも「心配なこと」でもない。
こどもが、自分の力で自分を支えようとしている、その姿です。
私たち大人がするべきことは、その世界を否定したり不思議がったりすることではなく、そっと傍らで「そうなんだね」と受け取ることではないでしょうか。

「創造する力」を、私たちは手放してしまっていないか
この映画の中で、もっとも私の胸に刺さったのは、ビジネスプレゼンの前で限界を迎えた大人のそばに、かつてのIFがそっと寄り添うシーンの描き方です。
詳しくは映画を観ていただきたいのですが、その場面を通して映画が伝えようとしていることは、とても静かで、でも確かなことでした。
「創造する力」を持つこどもから、大人は学べるものがある。
あの頃、自分の内側から何かを生み出すことが、ごく自然にできていた。それが今はできない大人たちに、IFたちは「きみは大丈夫」と静かに語りかける。
これは、こどもに関わる私たちへのメッセージでもあると感じました。
こどもの「創造する力」を奪っていないか。
「こうしなさい」「こうするべき」「それは変でしょ」という大人の言葉が、こどもの内側にある豊かな世界に、知らないうちに蓋をしていないか。
こどもが空想の世界を語るとき、大人はどんな顔をしていますか。
ちゃんと「そうなんだ、その子はどんな子なの?」と聞いてあげられていますか。
「見えない友達」の話を聞いてあげられますか
私自身、二人の娘を育てながら、この問いに何度もぶつかります。
忙しい日常の中で、こどもが「ねえ、聞いて」と話しかけてくることがある。そのとき、ちゃんとそちらを向けているかどうか。
この映画を観てから、こどもの「見えないもの」への向き合い方を、もう少し丁寧にしたいと思いました。
たとえそれが空想でも。たとえ「そんなもの、いないよ」と大人の目には映っても。
こどもが「いる」と感じているなら、その感覚は本物です。
こどもの内側に生きているものを、大人の都合で消してしまわないこと。
それが、こどもを尊重するということの、一番小さくて、一番大切な入口だと私は思っています。
映画を観たあとに残ったもの
『ブルー きみは大丈夫』は、派手なアクションも衝撃的な展開もない映画です。
ストーリーの流れはある程度予想がつく、という感想も多く見られました。邦題がIFの世界観を伝えきれていないという声もあります。
でも、それでも多くの人の胸を揺さぶる理由は、ひとつだと思います。
誰もが、「きみは大丈夫」という言葉を、どこかで必要としている。
こどもだけではなく、大人も。
そして、その言葉をいちばん届けたいのは、毎日一緒にいる、あのこどもたちへ。
「きみは大丈夫。ちゃんと見ているよ」
その一言が、こどもの中にどれほど大きな根を張るか。
この映画は、そのことをやさしく、でも確かに教えてくれます。
今日、自分のこどもに「大丈夫」を伝えてみませんか。
言葉でなくても。笑顔でも、ハグでも、目を合わせるだけでも。
こどもの内側に、「自分は大丈夫」という土台を、少しずつ積み上げていく。
それが、子育てで私たちにできる、もっとも大切なことのひとつだと思っています。
映画『ブルー きみは大丈夫』(原題:IF)は、2024年6月14日に日本公開。現在は各種動画配信サービスでも視聴可能です。

