先日、マイステラの絵本にまつわる小さな催しがありました。「親子で絵本を読んだり、紙でいろいろ作ったりしましょう」という会で、わたしも2歳の娘を連れて参加してきました。
会場のことを先に言っておきます。社員食堂です。マイステラの絵本をつくっている飯塚印刷の、いつもみんながお昼を食べているあの食堂。立派なイベントホールを想像していた方、すみません、そういう感じではないです。むしろ狭いです。親子がぎゅうぎゅうに集まって、わいわい、というか、ぎゅうぎゅう。
でも結論から言うと、この「ぎゅうぎゅう」がよかったんです。
紙が、こんなに「ごちそう」だったとは
印刷会社の建物なので、紙の見本がとにかくたくさんありました。色も、厚みも、手ざわりも、ぜんぶちがう紙。食堂のテーブルに、その見本がずらっと広げられていました。
娘がどうなったかというと、もう、紙を触る手が止まらない。
ツルツルの紙、ふわっとした紙、ちょっとザラッとした紙。一枚さわるたびに「ママ、これ!」「ママ、こっちも!」と報告してくれるんですが、こっちは正直、紙の違いがそんなに分からない。分からないけど、娘の「これ!」の本気度がすごいので、いっしょに「ほんとだ、ちがうね」と言い続けていました。途中から、わたしより娘のほうが紙ソムリエでした。
世の中ペーパーレス、ペーパーレスと言いますし、わたしも普段スマホばっかりです。でもこの日、紙の前で目をキラキラさせている娘を見て、ああ、子どもにとって紙って、画面とは全然ちがう「さわれるごちそう」なんだなと思いました。これって、うちの娘だけじゃないですよね?
紙ヒコーキも作りました。娘が折ったヒコーキは、お世辞にもよく飛ぶとは言えない、けれども、本人は大満足。せまい食堂なので飛距離も出ないんですが、床に落ちたヒコーキを何度も拾っては「とんだ!」と言っていて、いや、落ちてたよ、とは言えませんでした。

絵本のじかん。あの「しーん」が、わたしは好きです
催しのなかで、絵本の読み聞かせの時間がありました。
これ、保育士をやっていたときに何百回と見てきた光景なんですけど、子どもって、絵本が始まった瞬間にスッと世界が変わるんですよね。さっきまで紙ヒコーキを振り回していた子たちが、絵本のページが開いた途端、ぴたっと静かになる。あの「しーん」とした空気が、わたしは昔から大好きなんです。
狭い食堂が、その瞬間だけ、しんと静まりました。娘も、ちゃんとその「しーん」のなかにいました。となりで見ていて、この子いま完全に絵本の世界に入ってるな、というのが分かる横顔。子どもが本気で物語に入りこんでいる顔って、こちらまで少し息をひそめたくなる、そういう尊さがあります。

「これ、だれの本?」と娘が聞いた
そして、この日いちばん書きたかったことです。
会場には、マイステラの絵本も並んでいました。ご存じの方も多いと思いますが、マイステラは一人ひとりのお子さんの名前で、その子だけの物語がつくられる絵本です。
並んでいる絵本を見て、娘が聞いてきました。「ママ、これ、だれの本?」
その質問に、ちょっとドキッとしたんです。だって娘は、絵本って「みんなの本」だと思っていたはずなんですよね。図書館の本も、家の本も、だれかひとりのものではない。それなのに「だれの本?」と聞いた。絵本にも「その子の本」があるかもしれない、と気づいた瞬間だったのかなと思います。
マイステラは、子どもたちにもっと自分を好きになってほしい、自分自身の星=道標を見つけてほしい——そんな願いから生まれた絵本です。並んだ絵本を前にした娘の「これ、だれの本?」と、その願いが、わたしのなかでまっすぐつながった気がしました。自分の名前が、自分の物語が、ちゃんとそこにある。それは2歳の娘にとっても、たぶん特別なことなんだろうなと。

「ずっと残る」って、こういうことか
もうひとつ、この日あらためて感じたことがあります。
マイステラの絵本、すごく丈夫なんです。ページが根元までパタンと180度開く。小さい子って、絵本をけっこう乱暴にめくるじゃないですか。うちの娘も、お気に入りの絵本のページを一度やぶってしまって、半泣きになったことがあります。いや、泣いたのはわたしだったかもしれません。
会場で、5歳のお子さんのお父さんがこんなことを話していました。「これまで絵本が二つに割れてしまったこともあったので、ずっと残る絵本って素敵だと思う」。わかります、と心のなかで全力でうなずきました。
絵本って、消耗品みたいに買い替えるものじゃなくて、本当はずっとそばに置いておきたいものなんですよね。娘が大きくなって、いつか自分の子どもに「これ、ママの絵本だったんだよ」って見せられたら——って、気が早すぎますね。でも、丈夫につくられた絵本を見ると、そういう未来をちょっと想像してしまいます。

帰り道に思ったこと
帰り道、娘は紙ヒコーキを大事そうに握っていました。あんなに飛ばなかったヒコーキを、宝物みたいに。
社員食堂という、ぎゅうぎゅうで、いい意味で気取らない場所だったからこそ、親子も子ども同士も近くて、あったかい時間でした。広い会場だったら、あの「しーん」も、あのわいわいも、ちょっとずつ薄まっていたかもしれません。狭くてよかったな、と本気で思っています。
完璧な親じゃなくていいし、特別なことをしてあげられる日ばかりでもない。でも、ときどきこういう時間があると、それだけで子育てって少し豊かになる気がします。娘の「これ、だれの本?」を、わたしはたぶん長く覚えています。
……なんて、ちょっといい話っぽくまとめましたけど、家に帰ったあと娘は紙ヒコーキを冷蔵庫の裏に飛ばして取れなくなり、大泣きしました。今日も無事に、いつもの夜を迎えています。

